フラッシュバック
http://guideline.livedoor.biz/archives/50967825.html
考えさせられるな。
「謝る」とは目的か手段か。
定義付けとか。
どっちもあるような。
こんなスレを夜中に独りで読んだせいでフラッシュバック。
グルグルするぜ
小学校卒業後、近所のブックオフで再会したとき、少し申し訳なさそうにニコっと笑って会釈された。
それだけで許そうと思えた。
同時に当時の自分の幼稚さ、弱さみたいなんも自覚した。
被害者側にも責任はあるってのに共感した。
もし自分が教師になっていじめを目前にしたとき、自分はどのような対応をするべきか。何をしてやれるのか。
ただ、どんな形でも「謝る」「誠意を伝える」ということには賛成かな。
いじめってのはどちらの立場の人間も辛く虚しい。どちらかがつらさは上だ等とは比べる気はないけど。
でも、そういうのにはある程度成長してからでないと気付けない。気づけても受け入れられない。手遅れの場合もある。
ある種の若気の到り的な気もする。それはそれで成長の過程かもしれない。
老けたのかな?
翔べない片羽のアヒルの仔、「大空」見据えて何想ふ。
ああああああああああああああああああああああああああああああああ
グルグルするぜ
ちにゃ